2.道具を作って使ってみる、ごく当たり前の中にあった研究

認知科学科を選んだ理由

インタビューの様子

【尾関】 すみません。もっとさかのぼっちゃって伺っていいですか。みなさんはなぜ中京大学のしかも認知科学科に来ようと思ったのですか。

【八木】 僕は日本で一つの学科ってそれだけ。その言葉に惹かれて。そもそも心理学も好きだったんで。心理学に近くて、それでいて理系っていう、そこからアプローチする人間に関係する事…それが認知科学なんだと思い、それで選んだ。

【益川】 僕は大学進学する時に、道具のデザイナーになりたくて。それでインダストリアルデザイン学科がある大学とかいくつか受けたんだけど、そういうことやっている時に、三宅芳雄先生 (※注1)の書いた文章をたまたま読んだんだよね。記憶があいまいだけど「道具のデザインをする時に人の心の事も分からないとデザインできないので、そういう事を認知科学科では扱ってます」ってあってそれに惹かれて、受かったんで、もうここにしようと。
注1:三宅なほみ先生の旦那様で、当時同じ中京大学情報科学部認知科学科の教授として教鞭をとってらっしゃいました。現在放送大学教授です。

【青木】 高校の時に京大の方にエキスパートシステムの研究を見せていただく機会があり、「コンピュータが思考のまねごとをして人間の手助けをする」という研究分野に興味を持って、そういうことが学べる認知科学に興味を持ちました。入学してからはそれよりも、「人間の思考をコンピュータが手助けする」方がおもしろくなっていったのですが。後、単純に新し目のコンピュータが有りそうな学校にしよう、というのは判断材料にしてました。

【尾関】 なるほど、皆さんそれぞれに狙いがあって来たんですね。

【八木】 僕らよりむしろ、認知科学科の狙いが当たっていたんだね(笑)。

【尾関】 そうですね本当に。人のこと、コンピュータのこと、デザインのことに興味を持って、自然になほみ先生の部屋に流れついて、そしてゼミに参加。そして3人でReCoNote を作る事になったと思うのですが、その経緯を教えて頂きたいんですけれども。

【青木】 卒論は4年生になる時にはまだテーマは決めてなくて、とにかく3人グループでやろうっていうことだけは決めてました。

【益川】 テーマはあれ、3年生の夏休みにCSCLを読んだのが元になって、そういう系統で卒論にしようって決めたんじゃないかな。青木がなんか作りたいって言ってたんだよね。もの作りたいって言って。でもどういうもの作るのかっていろいろ話した。

【青木】 そう、一人じゃできないような、ある程度大きなことをやろうと言っていた。別に大きくはないんだけどさ(笑)。

【益川】 ね、それで何か作ることになって、名前の案もいっぱい考えて先生の所持ってったりした記憶がある(笑)。

【青木】 最終的に名前決めたの三宅先生なんだよね。

【尾関】 あー、そうなんですか。他に候補があったんですか?名前は。

【青木】 なんとかノートって名前でいろんなパターンで。

【八木】 電子文房具で野田さん とか古田さんとかがバーっと出てきて。それをなぞってね。

【益川】 そういう電子文房具の新しいものを作る流れだったね。

【青木】 先輩方が思考支援、学習環境支援ツールをいろいろ考えていたので、自分たちもそういうものを考えて、作って、みんなに使ってもらおう、系のことをしようということだけは、何かを作るか決める前から大体決めてました。

【八木】 そうそう(笑)。そういう系をね。

【益川】 Knowledge Navigator(アップルが1987年に発表したコンセプトビデオ)みたいな、電子文房具のコンセプトビデオ(※注2)を先輩たちが中心になって作ってたのを手伝った。誰が出演したんだっけ。どっかにあると思うけど。
※注2:映像資料は未だ見つかっていませんが、セットとなる配布資料と思われるもはこちら 

【尾関】 それちょっと見たいですね。

【益川】 ビデオテープの中に埋もれてるのかな。うーん、行方不明だなあ

【尾関】 残念です。見つかったら教えてください。

ReCoNote開発と研究の役割分担

【尾関】 では気を取り直して。当時はそのプロジェクトっていうのは、3人で役割があったんですか。

【青木】 僕は、ほぼプログラム担当。益川と八木は実験担当。

【益川】 確か実際に、ある程度形になった時になほみ先生が「授業で使ってみない?」って言い出して。実際に学生に使ってもらってみようと。そうしたら、ふいになほみ先生が実験もやっておいた方がいいかもとか言い出して八木君が被験者で実験をした。

インタビューの様子

【八木】 (笑)

【青木】 そしてだんだん微妙に研究っぽい体裁整えさせられて(笑)。

【尾関】 要所要所でなほみ先生がひょいひょい顔出しますね。

【青木】 うん。かなり関わってますよ。多分当時は人数も少なかったからだろうけど面倒は結構見てもらったと思う。

【益川】 どんな感じでできてる?って夏休み位に聞かれて、色々実装していって、授業で使ったんだよ。青木にバグ取りよろしくって。

【青木】 あまり思ったように直せなかった記憶の方が強いけど、昼夜逆転でがんばって修正しました。本当は昼間やってても効率は変わらなかったと思うけど。早朝に「この問題解決しました」とかみんなにE-Mailを書いたりしてたなあ。

【益川】 最終的には結構解消したんだよ。作り直して。

【青木】 それでも、みんなが渾身の力を入れて書いたテキストが、リターンキー押す時に消えちゃったりして(笑)。

【八木】 あった。

【青木】 メモ帳とかに先に書い てからReCoNoteにコピーして下さい、と注意喚起したりしてました。当時はまだWebで日本語入力できるマシンがほとんどなかったので、益川さん が3・4台ガーデンにノートパソコン並べて、これでReCoNote書いてください、とか、実験の環境を準備するだけでかなり苦労してたよね。

【益川】 Netscapeという当時主流だったブラウザから使うんだけど、大学のガーデンのUnixのマシンだと日本語が入らなくってね。

【尾関】 ノートを書くことに注力する、そこに辿り着くまで結構長いわけですね。

【青木】 今ならそんな苦労はしないですよね。

【八木】 日本語入力するためには。みたいな(笑)。その時点で嫌だね。

【青木】 それでも、興味持ってくれる被験者(後輩たち)はがんばって使ってくれた。

【益川】 それが、何グループかいたから、だからリンクも貼ってきて、リンク先もできて、っていう感じで、うん。

【青木】 まぁ紙でノートをお互い貸し借りしてもらっても日記は出来たかもしれないけど。

【八木】 確かにね。なんとなくそんな感じはするね。

【尾関】 なるほどなあ。

【益川】 卒論持ってこようか(笑)。

【八木】 やめて欲しいよ。

【青木】 被験者だったから八木君しゃべってるよ。あれ全部映像に残ってるはずだよ。

インタビューの様子

【八木】 うわー。出たよ。

【青木】 八木君はRecoNote Liteという実験用のHTML版も作ったよね。

【益川】 最初に使った授業はヒューマンインターフェイス論だ。その次の年が問題解決論。

【八木】 すげえなこの資料。これで全部じゃ無いよね。

【青木】 いや、これは第一部だけ。ReCoNote制作編について第1部で書いて。俺の出番それで終わって。

【八木】 えー、そうだった?

【益川】 そうそう。で、第2部を八木君が書いたんだよ。で第3部が僕。

【尾関】 大作だ。

【八木】 こんなに出したっけ?

【益川】 なほみ先生がこれ位やってあたりまえだって。

【青木】 まだ足りないとか言って(笑)。

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取材スタッフ:尾関智恵、春田裕典/構成:尾関智恵/サイトデザイン・撮影:春田裕典

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