学習科学から 2月号分 学習過程の記録をとる

学習過程の記録をとる

この連載では、最近盛んになってきた「学習科学」という分野でのものの考え方や実践的な研究の例を紹介してきた。学習というのは考えてみればみるほど不思議な過程で、例えば「授業」と呼ばれる仕組みによって人がどれほどのことを身につけるのか、その過程は実際どんなもので、うまくいかない場合にどんな支援が有効なのか、詳しいところはまだ十分にはわかっていない。そもそも人が一生の間にどれほどの知識を身につけるものなのか、それをどうやって身につけたのか、など、基本の基本でありそうなことであっても、ちゃんとしたデータすら、ない。こういった学習にまつわる起訴事実を少しずつはっきりさせて、実際に学校の授業などで有効そうな実践に結びつけ、学びとはどういうものかを実証的に研究しようというのが学習科学である。連載の最後の二回を使って、こういう研究のやり方の特徴と、学習科学が目指しているものとを紹介してみたい。

学習科学研究の大きな特徴の一つに、学習を、単に個人的なものとしてではなく、人々が相互に影響を与え合って互いの達成度を高める協調的なものと捉え直す学習観の変化がある。この変化に連れて、教員が一方的に答えを説明してしまう授業のやり方ではなく、学生生徒が互いに自分たちの考えをぶつけ合って互いに他人のアイディアから学ばせる方法がいろいろ試されるようになり、そこから思いがけない成果も上がるようになって来た。こういうことをすると、同時にその副作用として、学生同士の会話など、これまでは観察しにくかった途中のプロセスが分析可能になってきた。人が授業中何をどんな風に考えてものごとを理解しているのかを詳しく分析できるデータが初めて手に入るようになったとも言える。昔から授業研究のために授業の様子をビデオに撮っておこうということはあったと思うが、最近では、学生に話し合ってもらうならその会話を、途中でプリントを配って書き込んでもらうならそのプリントを、パソコンを使うならその履歴を、それぞれ記録することができるし、授業の途中で教員やティーチングアシスタントがいろいろ気付いたことをメモしたのならそのメモを記録して、そもそも学びの実態はどんなものなのかを明らかにしようとしている。

考えてみればこれは、いわゆる形成的評価を極端にミクロ化したようなものである。こういうデータがあると、そもそも教えている側は教室での学生の振舞いのどこを見てどう解釈すれば学生の進み具合がわかるのか、などという古くて新しい問いにも再度挑戦してみたくなる。最近私たちの大学で、学部基礎レベルの数学の授業を対象に、さまざまな観察手法を活用するとどれほどのことが見えてくるのかを探ってみた。対象にした授業は、情報系の学部の2年生に実験データの統計的な処理方法を教えるものである。授業では、学生をまずペアにして、いろいろな課題を出し、参考資料を使ってまず自分たちで答えを出し、さらにその解と解法が正しいことを「話し合って納得」して下さい、と伝えた。参考資料としては市販の解説本(野崎他 2001 『統計・確率の意味が分かる』ベレ出版)や電子化された三省堂の昔の教科書に、確率・統計の授業(授業者何森仁氏)の該当部分のビデオ・クリップを使った。課題には計算問題だけでなく、推定や検定の仕組みを問うものや、標準偏差や正規分布など大事な構成概念の意味を理解するようなものも含まれていた。自分たちの解法に納得したら、その納得した内容をティーチングアシスタント(TA)の院生か担当教員に説明して、合格したら次の課題へ進むという形式を取った。履修者は約90人、担当教員二人、院生TA二人、他に学部生のTA四人という構成で行った。学習の目標としては「進んだ量より納得が大事」と告げ、「卒論を書くときに自分で使える統計ノート」を最終レポート課題とした。

こんなふうにすると大学の授業であっても実にたくさんのデータが取れる。授業中に出される課題への答案(これは一旦集めてPDFにして保存する)はもちろん、解答している最中にペアになった学生同士が二人で一緒に問題を解いている時の音声データ(一部はビデオも撮った)、参考資料のどこをどのくらい見ていたのかなど、さまざまな記録が集められる。今回はここから一つだけ、大学生の学習の仕方にこんなパタンがあるようだ、という話しを紹介したい。レポートの内容や、授業中の活動の様子からでは十分つかみきれなかった、大学生の学び方の実態のようなものが少しだけ見えてきている。

まず、課題の進み具合を見て、全受講者の中から特に進みの速かった2組と、クラス中での進度は中くらいだがしっかり課題をこなしていた2組とを選び出した。どちらもうまく話合って楽しんで学習を進めているように見えるペアだった。速かったペアを「すっとび組」、中堅どころを「じっくり組」と呼ぶことにしよう。それぞれの課題への取り組み方をまとめると次のようになる。

すっとび組
まず課題を見て、それから教科書に似た例題がないか、解き方の書いてあるところを探しに行く。探し方はテレビでいえばザッピングである。とにかく上から、かなりの速さでザーッと見て、狙いのものがみつかったらぴたっと止まる。そこから上手く使える式をえらびだし、それに当てはめてとにかく課題を解く。解き方の説明はなんとか辻褄をあわせる工夫をして、早め早めにTAを呼び、説明を対話に持ち込んで教員からもいろいろと情報を聞き出す。「これ、ここまでこうやったんですけど、なんか、こうなっちゃって、おかしいですよね?」などと話しかけ、教員が釣られて説明しだすのを待ったりする。教員の説明は「うんうん、あぁそうか」と受け取るので、ここら辺で合格が出て次の課題へ行く。このタイプのペアは、次の問題が前の問題に似ていると思うと、前にうまくいった式を使って解こうとするので解けないことが多い。もしくは、解けた気でいて説明してみてそこで違っていることに気がついてつまずく。そうすると、また教科書をザッピングしてなんとか強引に答えを出して、教員を呼んで対話に持ち込む、ということを繰り返す。結局一つ一つの課題について自分で解き方をじっくり生成するということはやらずに先に進んでいるのだが、時には前に解いた問題がわかっていなかったことに自分たちで気付いて戻ったりもしながら、部分的には解き方の理屈も分かるようになってゆく。

じっくり組
まず課題に関係のある章を教科書の中から探して、頭からじっくり読む。書かれている内容をしっかり理解しようと納得するまで話し合う。教科書だけで分からない時には授業のビデオクリップを見たりもする。こうやって、大体分かってから問題を解く。教科書をよく読んでいるので大概解ける。解けたら、その問題の数値を入れ替えるなどして「解ける」ことを確認し、「(なぜその解き方で解けるのか、というよりも)解き方そのもの」を十分に説明できるくらいまで練習してから、教員を呼んで説明する。教員はだいたい感心するので、簡単な確認質問をするくらいですぐ合格を出す。合格が出ると、「じゃぁ、これはこれで済んだわね」と言い合って、それまでに取ったメモなどを整理して「片付けて」から、新しい課題にとりかかる。次の問題に行くと、また一から教科書の該当部分をじっくり読んで理解して問題を解き、納得できるまで話し合って、説明できるようになってから教員のチェックを受ける。以上の繰り返しでそれぞれの問題を一つ一つ「片付けて」ゆくので、解けてしまった問題、前に解いた問題の解き方やその理屈に戻るということはほとんどしない。

こんな観察をしてみて、私たちが気付いたことは、次のようなことである。「すっとび組」はとにかく解くのが速いし、教員とのコミュニケーションも豊富なので、「とてもうまくいっている」ように見える。「じっくり組」は、それに比べて少し進みは遅いけれど、答えは正解だし説明は「教科書どおり」なので、優等生に見える。どちらの組からもそれなりに力の入ったレポートが出てきて、それだけ見ると、こういう学生主体の授業でもまぁちゃんとした学習が起きるといって良さそうな気になる。しかし、このどちらの組も、「ほんとうにわかって欲しかったことは必ずしもわかっていなかった」と言った方が正確なのだろうと思う。個人差はもちろんあるけれど、「すっとび組」のレポートには、例題を取り上げて「式のここにはこの数値を入れる」といった説明が並んでいることが多かったし、「じっくり組」のレポートには、教科書風の断片的な記述が「見出しで分けて」相互の関連もなく書き連ねられている傾向が強かった。残念だけれど、彼らが4年生になった時、卒論の実験でデータを取ったとしても、このノートが活用されることはないだろう。

解けた問題のプリントを見ただけでは、学生がわかっている内容は把握できない。教科書の使い方などを注意深くみているつもりでも学生の学習状況を把握することは難しい。さらに、対面で直接学生の説明を聞くなどの方法でさえ教員は、学生がわかっていないことに気付かないことがある。「授業を受けている学生がどういう行動をしたら何がわかっていると判断していいか」を知るためだけにも、まだ私たちが調べてみた方がよいことがいろいろありそうである。