学習科学から 1月号分 授業時間を短縮すると

授業時間を短縮すると

ここ数回、アメリカの学習科学研究の一端をご紹介してきた。学習科学の実践研究は多くの場合実践と評価を繰り返しながら行われている。ご紹介してきたように、これらの学習実践はある意味研究と同じで、学習モデル基づいて授業をデザインし、実践して、そこで起きたことを観察、分析して次の実践を工夫する。このデータから直接「どの働きかけがどの学習結果を引き出したか」という因果関係を特定する決定的な証拠が出てくるわけではないが、似たようなことが何度も一貫して起きるならそこには説明に値する現象が起きているといえるだろうし、さらにそれが仮説として考えられている学習モデルで説明できるなら、その学習モデルの真実性が増すだろう。こういうサイクルを繰り返して、やがてはそこからは、授業をデザインするための指針、原則が浮き彫りになってくることが本気で期待されている。  

つまり、学習実践研究の一つの目的は、だれもが使うことのできる、できるだけ一般性の高いデザイン原則を提案することだとも言える。したがって学習科学研究プロジェクトの評価では、「教えたいことがほんとうに学習されたのか」という評価と同時に、プロジェクト全体を支える学習モデルや学習環境のデザイン原則そのものが評価の対象になる。以下、そのような少しスケールの大きな評価の話をご紹介したい。熱力学を題材に、うまく作られたカリキュラムについて、教える内容は落とさずに教える時間を短縮したらどのような影響が出るかを調査した研究(Clark & Linn, 2003)である。これは、北米の学習科学研究を代表するプロジェクトの一つWISE/CLPと呼ばれる中高生対象の理科教育プロジェクトの中の単元の一つ「熱力学」について、2002年までに約3000人を対象に行われた授業を対象に行われた分析の報告である。

 この単元は1991年からまず8セメスタ(1セメスタは半期、実授業時間として約3ヶ月分)をかけて整備された。そこで出来上がったカリキュラムは12.25週かかるもので、「熱と温度」「日常的な現象との関連付け」「絶縁と熱伝導」「熱平衡」という4つの項目からなり、完全セットと呼ばれている。実際に身の回りのものに触って、「触った感じ」はものによって変わるが「そのものの温度」は室温と同じで一定であることなどを確認しながら、光はどこまでも直進するのかそれとも途中で消えてしまうのかを調べて光が吸収されると熱になること、光の吸収のされ方とそのものの持つエネルギーとの関係などについて、実験したり、シミュレイタを使ったり、webで調べて討論したりしながら理解を深めてゆく。1つの単元に12週間をかける例は北米ではほとんどないそうだが、中高生対象の熱力学をこれだけ丁寧に教えるカリキュラムは日本でもあまり見られないだろう。この完全セットで教えた結果、従来の教え方に比較して成績が4倍になったと報告されている。

ここだけ見ればこれで大成功といえそうなのだが、現場はそう簡単ではない。この完全セットは、現場の先生たちから見てやっぱり長すぎて「短くして欲しい」という要望が相次いだ。そこで、それから8年ほどをかけ3回にわたって少しずつ短縮され、最終的には6.5週で終わる形になった。短縮版にも4つの単元はすべて含まれており、時間だけが短くなった。
完全セット4セメスタ、各短縮版をそれぞれ5セメスタの計19セメスタ分の実践がすべて同じ教師によって行われ、学生3000人がこの授業を受けた。これらの学習の達成度は毎回記述式の問題と多肢選択問題の二つの形で評価されている。熱と温度についての問題を例にとって言うと、日中車のトランクに長時間放置された金属製の物体と木製の物体との温度の触感を問う問題に対して、「温度が違うか同じか」を選ばせるのが多肢選択型の問題、選んだ後になぜそう考えたかをことばで説明させるのが記述型の問題である。

 カリキュラムにかける時間が短くなると学生の理解度がどのような影響を受けるとお考えだろうか?3000人のデータを図1に示す。ふたつのはっきりした傾向が現れている。ひとつは、単元にかける時間を短縮したことによって記述式のテストの成績が段階的に落ちていること、もうひとつは、その傾向が多肢選択問題の成績には現れていないこと、である。短縮版で学んだ学生たちは、多肢選択問題には正しく答えることができ、記述式の問題に付いて理由を挙げたり自分のアイディアについてはっきり根拠を示したりすることができなくなっていた。

図1 各バージョンでの学生の成績

この結果について、著者たちは「理科の授業で他の単元も扱うために教える時間を短くすると、全体として学生は自分の知識を統合しなくなる。・・・略・・・多肢選択型の問題に正答するためにはそれほど精緻な理解は必要なく、したがってそこまで丁寧に教えなくても良い結果が得られるのだろう」と説明している。

完全セットで学ぶ過程では実際どのような学習が起きていたのだろう?Clarkらはこれを調べるために、完全セットで教えた平均的な学生を50人に対して、大体3週間に一度授業後にインタビューを行って理解の変化を確かめた。「熱と温度の違い」について結果を示したのが図2である。3週目のインタビュー後、すでに半数近くの学生が規範的な答えはできるようになっているが、60%の学生が習ったことを使って自分なりの推論に持ち込めるようになるにはさらに9週間かかっていることが見て取れる。さらにそのうちの一人については高等学校に進学してからも2度インタビューを行って、その学生の熱力学についての理解がどのように変化したかを詳しく追ったところ、完全バージョンで学習した学生は、高等学校で熱力学の授業を受けなくても、その知識を他の科目と関連させて深化させていることが分かったという。

図2 「熱と温度」についての学生の回答分布

注:回答の種類は、間違いである「誤解答」、正しい答えを間違ったアイディアが混ざっている「正誤混合」、正しい「規範的回答」、
さらに回答の根拠や正しい解答を自分の経験に結び付けるなどの拡張が見られる「根拠を含む解答」の4つに分類されている。

「熱と温度の違い」についてだけでなく「伝導率」「熱平衡」についても、同様の傾向が見出された。

 この研究報告は、新しい学習目標を掲げた学習科学の実践研究は新しい目標に合った評価方法そのものを開発していかなくてはならないことを如実に示している。当たり前のことだが、大切なのは、学習の目標をはっきりさせその目標にあった学習活動を用意して、その成果を見極める評価方法を求めて作ってゆく姿勢であり、そのために必要な学習の認知過程の解明に努力を惜しまないことだろう。

文献:Clark, D., & Linn, M. 2003 “Designing for knowledge integration: The impact of instructional time,” The Journal of The Learning Sciences, 12, 451-493.