えるふ第10回 一緒に考えるということ

前回は、「文殊の知恵」の話をした。その時、9つの点を3回曲がるだけの直線の一筆書きですべて通れというパズルを取り上げたのだが、その答えから行きましょうか?答えは、下図のように、9点が作っている「囲い」を破って外に出る。

このパズル、二人だと案外うまく解ける。こういう例をいろいろ調べた研究からは、人がひとりだと知らないうちに自分の活動範囲を制限しがちだが、二人いると、もう一人は、少し気が大きくなるのか、視点が広く取れるのか、「枠の外に出てみようよ」などの提案をしやすくなることがわかっている。

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最近こういう、複数の人が一緒に考えたり仕事をしたりする協調過程を扱う研究が増えてきた。そこで何がわかってきたのかというと、あろうことか、人というもの、一般的には協調するのがすごく苦手かつ下手であるらしい。

そうなのですよ、入社面接では「協調性が大事」などと言ってはみても、日々の活動の中でみんなそんなに「人と一緒に考えたい」なんて、思っていない。「さぁ集まって話し合おう!」と言われたら、即「よっし!これでうまくいくぞ!」という気になるだろうか?「今日の会議は参加人数も多いし、議題山盛りだよー」と聞いて、「今日はものごとがばんばん進むぞー」と期待するだろうか?「大学でも学生同士グループで教えあいを繰り返すと成果がありますよー」と聞いて(実は私の本業はこういう研究なのだが)にわかにじゃぁ自分もやってみよう、と思うだろうか?これらの問いへの答えは、大概いずれもNoである。

答えがNoになる一番わかりやすい理由として、人はもともと一人でいろいろやるようにできていて、それが好き、あるいは他のやり方のうまみを知らない、ということがありそうである。アメリカ留学中にシングル・ペアレントをたくさん見たが、責任大きくて大変そうな反面、こどもにピストルのおもちゃを買ってやるかやらないかで議論して夜が明けた、なんてことはこの人たちには皆無で、ある意味自信に満ちて気楽に親をやっているようにすらみえた。「自分は十分しっかりしている」と思っている個人が、「大事なことは自分で決めるのが一番」と思っても不思議はない。少なくとも明らかにその方が手間がかからない。

人が協調することが不自然だとして、ではその不自然さを我慢してまで協調するメリットはどこにあるのだろう?私は、このシリーズでこれまで9回話題にしてきたような「人の考え方の癖」に対して対処しやすくなるところにそのメリットがあるのではないかと考えている。人は、思い込みにはまったり、自分の知っていることは他人も知っていると思いがちだったりする。一人で考えるときにはたいていの場合、その方が効率がいいから、である。二人、あるいはそれ以上が話し合っていると、確かに、効率は悪くなる。悪くなるが、悪くなる分だけ、人特有の考え方の癖からは、一応身を離すことができる。

時代は「二人の協調」どころか、多文化間での問題解決や、専門家同士の協調によるブレイク・スルーを、これまでになく要請している。人の生きてきた長い歴史の中で、こういうことはこれまであまりなかった。だからこそ、これからの時代を生き延びてゆくために、人は、人の「考え方の癖」を知り、それを一歩突き放して検討して、一見効率が悪くても、人を滅亡に導かないような判断と選択をしてゆくべき時代に来ているのではないかと思う。